テレビドラマ「唐朝詭事録」では、「櫻桃饆饠」という料理が登場しますが、文献にはその作り方が詳しく記されていません。当時の手に入る材料や資源、そして庶民の料理方法を考えると、饆饠は焼くか蒸す方法で作られていたのではないかと考えられます。
唐代においては、食べ物の名前に明確な区別がなく、小麦の皮で餡を包み、細長い形にして手で持って食べられるものは、すべて「饆饠」と呼ばれていました。
饆饠は西域から中国に伝わった麺料理で、唐代の人々にとって主食の一つでした。また、重量で売られていたことからも、饆饠が安価で腹持ちの良い、非常に経済的な食べ物であったことが伺えます。
当時、科挙試験のために上京した貧しい学者たちは、節約のために館子で饆饠を食べるしかありませんでした。
饆饠を食べ過ぎて、昼寝中に饆饠を食べる夢を見るほどでした。
『酉陽雑俎』には、ある国子監の学生が昼寝中に夢を見て、誰かに合格を告げられたと書かれています。夢の中で隣の部屋の人たちと一緒に饆饠を食べに行き、五、六人で二斤を食べました。目が覚めて現場を確認すると夢と同じで、実際に合格したそうです。
これらの記録から、饆饠が主食であり、非常に安価ではないものの手頃な価格で食べられることがわかります。六人で二斤、つまり一人あたり約220グラムで、これは台湾の伝統的な春巻きとほぼ同じ量です。
成人男性にとっては十分な量ではないものの、空腹を感じることはありません。
現在市場でよく見かける桜桃の品種は、19世紀に中国に導入されたもので、唐代のものとは異なります。
現在、桜桃は主にデザートに使われますが、唐代の桜桃饆饠はデザートではなく、羊肉を使った塩味の主食でした。
唐代の饆饠には羊肉が入っていた
饆饠は西域から伝わり、唐代の主な食肉が羊肉であったことから、その餡には羊肉が使われていたと考えられます。これは基本的なものであったため、特に言及されることはありませんでした。
桜桃は味のバリエーションの一つに過ぎず、桜桃饆饠のほかにも、羊肝饆饠、天花饆饠、蟹黄饆饠など、多くの種類の饆饠がありました。
古代では、果物を料理に使う際は主に調味料として用いられました。塩漬けにして保存し、果物の独特な風味を加えることで、食べ物の味わいを豊かにしました。というのも、現在よく使われる調味料や食材の多くは、唐代の中国には存在していなかったからです。
饆饠の変遷
現在のいくつかの食べ物は唐代の饆饠と外見が似ていますが、これらは直接的な継承関係にはありません。
正確に言うと、中原の飲食文化の発展に伴い、宋代以降、地理的な影響もあって、唐代の饆饠はその形や材料に変化が生じました。
宋代以降、食べ物の名前も多様化し、形や内容物の変化に伴い、新しい名前が付けられるようになりました。そのため、「饆饠」という名前は次第に使われなくなり、歴史の舞台から姿を消しました。
現在、唐代の饆饠に似た形の食べ物は、また別の発展を遂げたものです。
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